1月27日、本日電話ナシ 「父とそっくり」

 子どもの頃、わりとよく静岡の父の実家に行っていた。親譲りで歯が悪く、幼稚園の時に虫歯がひどくて、なぜか静岡の祖父と祖母に預けられ、歯医者に通っていた。

 その頃のわたしはめちゃめちゃ偏食で小食でガリガリに痩せていて、祖母は初孫のわたしを喜ばせようと、おいしいものをたくさんすすめてくれた。

 それなのにわたしは、当時祖母がつくってくれた数あるおいしい手料理を全く覚えておらず、毎日お昼ご飯につくってくれたチキンライスのおいしかったことだけ今も脳髄にすりこまれている。わたしの人生最後のごはんはチキンライスと決めている(オムライスは却下。あくまでも鶏肉と玉ねぎとケチャップで出来たチキンライスがいいのだ)。それくらい祖母のチキンライスは格別においしかった。

 もうちょっと大きくなって静岡の家に行った時のことだ。父の中学校時代の写真を見つけたことがある。集合写真なのだが、その中にわたしが写っていた。多分わたしを知ってる人ならほとんどの人が、同じ様に思うだろうなぁと思うくらい、写真の父はわたしそっくりだった。遺伝子の恐ろしさよ。父の若い頃の写真を見ると、どれもわたしの顔が重なる。それだけでなく、瞬間湯沸かし器の様に怒ったり、ケチだったり、いやなところが似ている。

 遺伝子にあらがってひとつだけ父に似ない様気をつけているのが「歯」だ。

 認知症の父が入れ歯を失くした騒動で、認知症がわたしにもやってくるなら、絶対に総入れ歯にだけはなるまいと思った。長じてわたしは、偏食も小食もガリガリも返上し、何でもおいしい食いしん坊になった。入れ歯の不自由さで、おいしいものをおいしいまま食べられない老後なんてまっぴらだ。それゆえ歯のメンテナンスにはかなり気を使っている。いくら父とそっくりでも、歯だけは似ない様にと心している。それが食いしん坊の矜持。人生最後の日のチキンライスを、自分の歯で思う存分堪能するのだ。

 

認知症の父が入れ歯を失くした騒動はこちら↓

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