父と初救急車

 30日。父がなかなか朝食を取ろうとしない。いつも食事の際は実家から送ったお気に入りのリクライニングチェアから座卓の前に移るのだが、この日は座布団の方に下りてこない。

 これはかなりめずらしいこと。どうしたものかと思っていると、父がリクライニングチェアに座ったまま、座卓にならぶ朝食の中から好物の山かけごはんのお茶碗を取って食べている。食欲はあるらしい。ごはんはいくらか食べたが、すぐにもういらないと言う。やはり具合が悪いのかと熱を測ると(腋から体温計がすべり落ちるのでいい加減だが)38度を超えている。コロナ?と一瞬思ったが、部屋からほとんど出ることのない父には思い当たる感染経路がない。しかしこの熱はただごとではない。ケアマネさんに連絡すると、すぐにとんできてくれた。看護師を装って。

 水銀の血圧計や聴診器まで持参して父の様子をくまなく診てくれた。そこで右足の腫れに目が留まった。父の足はいつもむくみがちだったので、わたしは気にもとめていなかったが、言われてみれば左右で腫れが全く違う。右足の甲は明らかに左よりも赤く熱を帯びている。ケアマネさんの見立てでは蜂窩織炎(ほうかしきえん)という、小さな傷から細菌が入って高熱を出す病気ではないかとのことだった(ケアマネさんは医師の資格はもっていない)。蜂窩織炎は侮れないという。救急車を呼ぶ様強く勧められた。

 人生初の119番。すぐに出てくれたのはいいが「×××ですか?○○○ですか?」と割れた音声で聞かれ、何を言ってるのか分からず「は?」と聞き返してしまった。「救急ですか?消防ですか?」と聞いていたらしい。「救急です」と応えるとまた「救急ですか?消防ですか?」と別の声が聞こえる。それにかぶせるように何か別の質問の声が聞こえる。がやがやした様子で何を聞かれているのか分からず混乱したが、どうも電話口の消防隊員がわたしの電話の内容を別の消防隊員に指示しているらしく、そのせいで質問と指示が受話器ごしにごっちゃに聞こえていたようだった。今回の通報ではこちらはそれほどあわてていたわけではないが、本当に緊急で動揺していたら、おそらくもどかしかったと思う。こういう機会に119番を経験してよかったと、ちょっと思った。

 救急車が到着した。わたしは父の荷物を用意する様指示されたので父の部屋を出ていた。戻ると、ケアマネさんと救急隊員が手をこまねいていた。父があばれて担架に載せられないという。こんな時でも元気いっぱいだ。なだめすかして、なんとか担架に載せ救急車に乗車出来た。

 しかしそこから父の熱は急激に上がった。救急隊員が測ると40度を超えている。うわごとの様に意味不明なことをしゃべり続けている。手をふわふわ動かして、掴むところを探してる様子がみえる。父の手を取って握ると、握りしめたまま離さない。ケアマネさんが言ってた蜂窩織炎は侮れないというのはこういうことかと思った。