ハードルいったいいくつあるのか その3

 「もう来週か、父を高知に連れて来るのは」と思っていた矢先に、父の入院している病院から電話があった。3日前に病棟でコロナ感染者がひとり出たという。来週月曜日までに陽性者が出なければ退院に問題ありませんが…とのことだった。ひとりだけならそのまま収束してくれるだろうと、どこかで思っていた。しかし、週明け月曜の朝、また一人陽性者が出ましたと連絡が来た。翌々日にはもう二人陽性者が…と、申し訳なさそうに後任の医師から電話があった。

 ケアマネさんに相談した。すぐに、父がお世話になる予定のショートステイに確認して下さった。思っていた通り、状況が落ち着くまで、父の受入れは待たせて欲しいとの回答だった。

 父の3月末の退院は流れた。電話でも面会でも、3月31日に迎えに行くねと、ずっと言ってきたので(そして喜ぶ様子を見てきたので)なんとも言えない気持ちになった。

 とりあえず父と夫の分の飛行機はキャンセルした。わたしだけは予定通り東京に帰った。父の引越荷物をつくるためだ。引越業者に荷物を引き渡す役目は妹に頼んだが、どれを持って行くのか、どれを置いておくのか、分かるようにしておかないといけない。テレビからテレビ台からパイプハンガーから布団から椅子から段ボールから…全て寸法を測った。引越業者にネット予約する時に寸法の入力が必須だから。寸法を測り終えた後、わたしは荷造りしたものたちを部屋の片隅に寄せて、ビニール紐を床の上にテープで貼り、まるく囲った。ビニール紐の円の中の荷物が引越業者に渡す荷物だ。

 父自慢の天井まである本棚の本は荷物に入れなかった。新しい家には天井まである本棚は作れなかったから。クローゼットも作ってないので、衣類は収納棚の様なものを用意しなければならない。必然的に最小限の量になった。父の引越荷物を囲うビニール紐のサークルはごく小さかった。父が建て愛した家と、父が愛用したこまごましたもの。それらを、わたしが勝手に父から引き離してしまうことに胸が痛んだ。定年退職後、健康に人一倍留意していた父の無念を思った。

 父の好きだった本だけでも高知に移そうと思った。それくらいのことしかできないのだが。