父入院 その4「伊那のお多福豆」

 父をお風呂に入れることが出来なかったので《11月30日にわたしが父の背中を流してから入っていない》、せめて下着だけでも着かえさせたかったが、抵抗されて断念。おそらく11月30日以来着っぱなしのアンダーシャツの上から長袖のシャツを着せ、父が好んで着ていたセーターを首から通した。冬用のズボンが見つからず、いつもスポーツクラブに履いて行っていた、黒いシャカシャカしたトレーニングパンツを履かせた。寒そうだったが、出発時刻が迫っている。朝食も食べてもらわないといけない。やむを得ない。

 階下に来てほしいのに、父はそわそわと落ち着かない。2週間前には見られなかった行動だ。やたらと気になるところを触っては止めを繰り返す。例えば1冊の本を触る。手に取る。戻す。といったことを、何度も繰り返す。

「お父さん、もうお迎えが来ちゃうからごはん食べよう」

「お願い。わたし、もう行かないといけないの」

「車を待たすとお金かかるからね《父は「お金がかかるよ」とか、「タダだよ」は効く》

 父を刺激しないように言葉を選んで選んで、なんとか階下のダイニングテーブルで朝食をとらせることに成功した。そのころには母の訪問看護の方が来られていて《父もおまけでバイタルなど取って頂いてる、わりと仲良しの看護師さん》、事情を察して、父の出発を後押ししてくれた。

 ごはんの盛りが少ないとか《残すくせに》、いつものようにぶつくさ言っていたけれど、なんとかお茶碗のごはんを食べ終えた。途中、ハッと思い立って、父が好きな伊那のお多福豆を食べてもらおうと思った。その時はそれほど重く考えず、焼いたカマスの干物を食べないので、出してあげようと思っただけなのだが、いま思うと好物のお多福豆を最初から山盛り出してあげればよかったと悔やまれる。

 最後になるかもしれない自宅での朝食。わたしが高知から持ってきたみかんも、あんぽ柿も、父の好きなものをゆっくり食べさせてあげることが出来なかった。ひたすら、この後タクシーに無事に乗ってくれるか、そのことばかりわたしは考えていた。

 介護タクシー到着時刻は9時30分。そろそろ9時15分になろうとしていた。