1月25日、本日電話ナシ 「あの帰りたいという執着は何なのだろう」

 父が来る準備に忙しく、電話がないと時間の余裕が出来ていいなぁと思ったりするのだが、なかなかそうもいかない。雑事を終えて夜になって、電話がない日に書いておこうと思っていたことが、いざパソコンの前に向かうと出てこない。文字起こしより時間がかかる。それでつい猫の話しなど書いてしまって、今度は楽しくなって、余計に時間がかかったりする。こんな時いつも、頭の整理のいい人がうらやましい。

 逆に父の域に達したら、どうなのだろう。父の電話を聞いていると、それほど本人、楽しそうではない。片付いていない何かに心が残るから、あれほど昔の家に戻りたがるのだろうか。いろんなことを忘れてしまうのに、あの帰りたいという執着は何なのだろう。

 認知症という病は、せめて記憶のしがらみから解放されて、無の境地にいさせてくれるという性質のものならいいなぁと思う。いろいろ分からなくなるのに、それが苦しいという記憶は残るというのは何か理不尽。シンドイ気持ちこそ、最初に忘れていくのならいいのにな。